生活のあらゆることについて至れり尽くせりで、親の心遣いが行き届いた生活を 子どもにさせてやりたいと考えてきた方もあるかもしれません。そのような方にとっては、ダブルケア生活は、非常なストレスかもしれません。
しかし、これを機会に、子どもたちに(ときには夫に)家事参加をしてもらい、自立の一歩を促すのもひとつです。
- 家族で家事を分担できる工夫をする
- 食べた食器は各自で洗う
- 洗濯機は小さめ単純機能のものにして各自で使いやすくする
- ゴミ出しは出かける人に持って行ってもらう
- 簡単な調理ができるようになればなおよし
- 子どもの能力は日常の生活の中で生かされて伸びる
家族で家事を分担できる工夫をする
介護を必要とする方が、家族、親族のうちのどなたなのかということによっても、事情は違ってきますが、いずれにしても、介護者家族側では家事分担が必要になると思います。
特に、ダブルケアの場合、母親である立場の人が介護者になると、家事、介護、仕事、幼稚園や保育所、学校関係の用事、塾や習い事関係の用事、家族の体調不良への対応など、すべてが、かかってくることもしばしばでしょう。
子どもたちの養育費や教育費がどんどんかかってくる年代でもあり、仕事をやめるのも不安ですし、時間のやりくりには腐心します。
在宅介護か、病院や老人ホームへ通う形の介護なのかで、違いはありますが、家族で家事を分担することと、できるだけ各自、自分の身の回りのことについて自立するという生活スタイルを作っていくといいと思います。
理想を言えば、ダブルケアの状況になる前に準備ができればいいですが、突然に始まることも多い介護です。やはり、お母さん依存型から各自自立型へと、生活スタイルのシフトが必要になることも多いと思います。
しかし、これは、今後の子どもの自立や、将来家庭を持ったときに協力して家事ができる人へと育てるという意味で、介護がいい機会になるかもしれません。
食べた食器は各自で洗う
両親ともにフルタイムで働いているご家庭では、食べたあとの食器を自分で洗うのは、あたりまえになっていることも多いかもしれません。
最近は、食洗機を使う家庭も増えてきているのかもしれませんが、せめて、予洗いして食洗機にいれておいてくれたら助かります。皆が、自分が使った食器をちょこっと自分で洗っておいてくれたら、食洗器のご登場を願うまでもありません。
家事は、ちょっとしたこと、誰でもできることではありますが、これを毎日毎日、続けることが大変なのです。
たとえ、結婚していなくても、自立したら食事、洗濯、掃除、ゴミ出しなどの家事はしなくてはなりません。自分でしないのなら、家事をしてくれる人を雇わなくてはならないのです。
だから、家族全員家事ができる人へと成長する機会ととらえてもよいのではないかと思います。
まずは、食器を洗うことを皆ができるようになるといいですね。
洗濯機は小さめ単純機能のものにして各自で使いやすくする
わがやの工夫で、いちばん功を奏したのは、洗濯機を小さくしたことかもしれません。
ちょうど買い替え時期になっていたこともあり、介護が始まって半年ほど経ったとき、選んだのは、売り場でいちばん小さく、単純機能の全自動洗濯機でした。一人分でも気軽に、自分で洗濯ができるようにするためです。
それまで使っていた洗濯機は、7.5kg洗えるドラム式のものでした。たしかに機能は優れていましたが、その時必要な機能ではありませんでした。特に、開閉のセキュリティーが厳重で、少しの脱水にも10分近くかかるのに困りました。
- 一人分でも気軽に洗えること
- 手洗いしたものをすぐ脱水できること
- 子どもでも簡単に扱えること
- 短い時間で洗えること
これらの機能を満たしているのは、最も単純なつくりの洗濯機だったのです。
新しい小さな洗濯機が来たとき、「えっ!」と子どもたちは驚いていました。でも、「これなら、洗濯が間に合ってなくても自分で気軽に洗えるでしょう。」と説明すると、結構、なるほどといった風できいていました。
男の子たちは、スポーツをしていますから、ユニフォームや練習着の洗濯がない日はありません。でも、私も手一杯。介護をしていることで増える洗濯物は、衣服に加えて、シーツ、バスタオルも多く、ときには、一気にベッドメイキングのセットが1日に2回汚れてしまうこともあります。そんなときは、また、転倒しかけたり、食事がうまくできなかったりと、いろいろなことが重なりやすいもの。そうなると、子どもたちの洗濯物まで、手が回らなくなります。
もともと、スポーツを始めるときに、ユニフォームは自分で洗うという約束をして、お風呂に入った時に自分で洗ってはいましたが、さらに、必要に迫られ、学校の制服や、普段着も自分で洗濯することを覚えました。
このことで、私が助かるのはもちろんですが、子どもたちの将来に役立つ習慣がついたと思っています。
嬉しい誤算は、夫も洗濯をしてくれるようになったことでした。
ゴミ出しは出かける人に持って行ってもらう
ゴミを捨てる作業は、意外と手間がかかります。
分別をはじめとする各自治体のルールもありますし、介護をしていて、リハビリパンツや尿とりパッドを使うと、ゴミの量は、一気に増えます。週2回の収集でも、1回に出すゴミの量は、大きなゴミ袋二つ三つにはすぐなります。
ゴミステーションがすぐ目の前ならよいのですが、何百メートルか歩かなければならないとか、マンションで上り下りしなければならないとなると、結構時間もいりますし、ごみの重さもあります。
これを、通勤通学で外へと出かけるときに、1個ずつ持っていってくれると、とても助かります。たいてい子どもたちは、1分でも惜しいようなタイミングで出かけていくのですが、そこをなんとか生活リズムとして作ってしまうことができればいいですね。
ちなみに、我が家では、夫が引き受けてくれました。もともと家事は、まかせきりタイプだったので、介護をしたからこその家事参加。
お義母さんに感謝です。
簡単な調理ができるようになればなおよし
介護があってもなくても、子どもたちには、料理ができる人に育ってほしいと思ってきました。料理ができることは、生涯の助けにもなるばかりではなく、ストレスの多い日々にあってもよい気分転換にもなります。なによりも、おいしい食べ物を自分で用意できるということは、人生の自由度を上げると思います。
食事の用意をしてくれる人がいないと、日常が成り立たないというよりも、自分でおいしいものが調達でき、ときには、誰かにごちそうできるくらいのほうが、人生には余裕が生まれ、頭や感性のはたらきも、きっとよいに違いないと思っています。
子どもの年齢によって、火を扱うのがまだ危険であったりすることもありますし、子どもに料理を教えるひまなどダブルケアの日々ではないかもしれません。我が家でも、ダブルケアが始まって私が義母の家に通っていたころは、子どもだけしか家にいないとき、やかんでお湯を沸かすことも、用心して、しないように言っていました。
しかし、義母が一緒に暮らすようになり、目が届くようになると、変わりました。母親のご飯を待っていても空腹が満たされるのがいつになるのか分からないようなことが続くと、レトルトのラーメンやお菓子づくりから始まって、少しずつ子どもたちが自ら料理をするようになっていきました。
ある程度の知識はすでにもっていて、くふうしたり、楽しんでいたりして、意外でした。なぜかと思えば、学校の調理実習での経験が生きているのでした。私のころは、男の子は技術、女の子は家庭科といった分け方をしていましたが、今は皆同じように経験する授業です。この効果を、実感することになりました。
いちばん興味がなさそうな長男も、中学生のころのある日、ふんわりとした卵焼きを作ってくれましたし、大学生となった今では、アルバイト先でも料理を教わっています。
娘は、いとも簡単においしいクッキーを作ったかと思えば、気が向きさえすれば、クックパッドで調べて、なかなかしゃれたものをつくってくれるようになりました。
次男にいたっては、焼き芋のおいしい作り方を何度も試し、今では、そのレシピを一応完成させたようです。カップケーキや、パウンドケーキまで作るようになりました。
子どもたちが作ってくれたものをいただくなんて、私にはこの上ない幸せに感じられます。これもまた、ダブルケアのおかげかと思っています。
子どもの能力は日常の生活の中で生かされて伸びる
介護をしたことで、私は、子どものいろいろな力を見つけることができたかもしれないと思っています。
大人が思っているより子どもは、日常の生活で力を発揮してくれます。そして、人と密に関わる経験と、家族の一員として役に立っているという経験が、いろいろな感性と知性も育ててくれたような気がしています。
親も、素直に、
「ありがとう、助かった!」
「おいしい!うれしい!」
と、口に出して言えばいいのではないかと思います。