ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

介護者が休息をとることを大切に考える

 

家族や子どものこと、要介護者のこと、仕事のことと、日々、多くのことには対応しているダブルケア生活。

でも、人間である限り、休息は必要です。機械だってメンテナンスしないと壊れますよ。

誠実に介護や子育てをする人ほど、休息をとることに罪悪感を感じてしまいがちです。でも、やっぱり、できるだけ定期的に、休息の時間をとりましょう。

 

 

介護者にも休息は必要

当然と言えば当然のことなのです。しかし、ここであえて見出しにあげるのは、なかなか休息を取りにくい現実があるからです。

その理由となる背景は、大きく二つあると思います。

  • まず一つは、物理的に、しなければならないことがとても多いということ。
  • そしてもう一つは、精神的に、休息をとることを遠慮してしまうことです。

しかし、介護者が休息をとる時間を確保することは、要介護者にとっても必要なことです。なぜなら、介護者の健康が保たれなければ、介護は、続けることができないからです。特に、在宅介護の場合は、主たる介護者の健康状態が、要介護者の生活状態に直結します。さらに、ダブルケアの場合は、子どもたちの生活にダイレクトに影響します。

なかなか、まとまった休息は取りにくく、忙しい毎日であっても、倒れてしまうほどがんばることは避けなければなりません。

 

一人の人間がこなせる物事の量には限界がある

一人の人間がこなせる物事の量 には個人差があります。しかし、「これ以上は一人ではこなせない」という、生き物としての限界もあります。

人の持っている時間の中に「休息」の時間があるからこそ、他の時間もいっぱいに生かせるのだということを、主たる介護者はもちろん、周囲の人もしっかり認識しておくべきです。

「できるだけのことをしてあげたい」「なんとかなる、なんとかする」「今は、がんばるしかない」といった気概を持ちつつも、それを実現するためには、休息を取る時間も組み入れて考えなければなりません。

そして、休息を取るために、時の状況に合わせて、するべきこと、したいことの優先順位をつけることも大切です。我が家でも、介護と子育てと仕事と家事、家事の中でも積み上がった食器、洗濯物、掃除のどれから手を付けるのか、選ばなくてはならないことはしょっちゅうでした。

もっと忙しくなると、選ぶ余地さえなくなり、そのときしなければならないことをするだけで精一杯になってきます。その優先順位の中に、「休息」を入れ、ときには、「今は何を置いても休むとき」と自覚することも必要です。そのときは、洗うのが追いつかなくて積み上がった食器にも、洗濯物にも目をつぶりましょう。

あまりに忙しいと、どれくらい自分が疲れているのかということさえ、わからなくなることもあるからです。

 

休息を取ることを遠慮してしまう気持ち

介護が始まると、介護者は、要介護者のことを第一に考えなくてはならないという気持ちになることも多いと思います。弱り苦しんでいる人を目の前にして、自分の休息を優先するのは悪いように思ってしまうのです。

在宅の場合なら、訪問介護ヘルパーに来てもらったり、デイサービスやショートステイに出かけてくれたりしたら、少し休めるかもしれないと思っても、本人がいやがったり、 周囲の親族から、「行かせるのはかわいそう」といった声が出ると、遠慮してしまいがちです。責任感が強く、情に厚い方ほどこのように思ってしまいがちではないかと思います。

期限が決まっていれば、それでもよいでしょう。人間、一生のうちには、何かにつけ極限までがんばらなくてはならないときというものはあります。

でも、介護は、終わりがいつなのかわからないことです。極限までの無理は、そう長く続くものではありません。

また、要介護者にとっても、家にこもっているより、慣れない場所であっても、外出して、できるだけ多くの人と接する方が、リハビリははかどります。できるだけ、本人に合ったところを探すことは大切なことですが、多少合わなくても、家にこもってしまうよりは精神衛生上もいいと思います。どのような状況であっても、人間として、他人や社会とつながっていることは大切なことだと思います。

どうしても、休むことに罪悪感のようなものを感じてしまう介護者の方は、このように考えてみたらいかがでしょうか。

「ロボットだって、工場の機械だって、メンテナンスをするから快調に動くのだ。ましてや、人間なのだから、休息が必要なのは当たり前だ」と。

 

要介護者と介護者がお互いを思いやって日々を送れたら

要介護者のなかには、一時的に、介護者がどれくらい自分のことを考えてくれているのかと不安になる方もあります。義母がそうでした。不安があると、介護者を試すかのように、他人の手を借りることに抵抗してしまうこともあると思います。逆に、自分への歯がゆさから介護拒否をして、結局は、介護者を困らせるといったこともあるかもしれません。

それも、一つの通過点であるのかもしれません。しかし、いろいろな変化を乗り越えて、要介護者と介護者が、お互いを思いやり、共に日々を生きていくというスタイルを作っていくことができれば、忙しさをきわめたダブルケアであっても、なんとかなっていくものになるのではないかと思います。

 

大事に思われていることがわかれば、外出も受け入れてくれる

我が家も、特に、義母のときは、デイサービスの利用が順調にいくまで、本人と親族のいろいろな考えが交錯し、試行錯誤のときがありました。

しかし、私が、義母のことを真剣に考えていることを理解するにつれ、義母は私の提案を受け入れてくれるようになりました。そして、訪問介護のヘルパーさんにも、出かけたデイサービスのスタッフの方にも、何かにつけ「ありがとう」と言ってくれるようになりました。そして、私にもよく、「ありがとう」と言ってくれました。

子どもも、保育園や幼稚園に行き始めた時、お父さんやお母さんから離れられず大泣きすることがあります。大好きなお父さんやお母さんと離れるという、初めてのできごとへのとまどいと、不安にさいなまれてのことでしょう。

でも、離れていてもお父さんやお母さんは自分のことを大好きでいてくれると確信すると、親のほうが寂しさを感じるほど、日に日に成長していきます。

考えてみれば、誰でもそうではないでしょうか。

要介護者も自分が大事に思われていると思えば、心に余裕が生まれるのではないかと思います。元気なころの自分とは違っても、新たに、人とつながっていこうという気持ちが生まれてくるのではないかと思います。

そして、介護者への思いやりも出てくるのではないかと思います。ここまでくると、介護者と要介護者とのあいだにある信頼感は、かなり深いものになるという実感があります。

そして、周囲の親族の意見はさておき、要介護者本人と主たる介護者家族との生活を、どう作っていくのかということに、考えを集中させていくことができるようになります。

自ずと、介護者の休息にも、理解を得られるようになっていくでしょう。

 

 

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