ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

ダブルケア 要介護者との人間関係をつくるための第一歩

 

介護が始まったころは、骨折や病気であれ、認知症であれ、要介護者となった人との関係は、それまでのものとずいぶんと変化していることが多いと思います。

たとえば、息子や娘の立場としては、頼りたい存在であった親の体が不自由になり、適切な判断ができないくらいに思考能力も落ちている状況を目の当たりにすると、少なからず動揺してしまうかもしれません。

ときには、自分の子どもだということすら忘れてしまう姿に、ショックを禁じ得ないこともあるでしょう。

要介護者のほうにも、介護者家族のほうにも戸惑いはあり、心は波立つと思います。

信じがたく事実を拒否したい気持ちの時期、怒りが湧いてくる時期、いろいろ試してみる時期、あきらめる時期、受け入れる時期と、心の中は、少しずつ変化していくことが多いようです。

できれば、拒否や怒りの時期が短く、早く受け入れる気持ちになれるほうが、その後の時間はより豊かになりやすいのでしょうが、そのためには、新しい関係づくりからはじめることがよいのではないかと思います。

 

 

まずは、お互いの立場を受け入れるまでが第一歩

親と子、夫と妻、舅姑と婿嫁といった立場は変わらなくても、ここに、要介護者と介護者という立場が加わると、要介護者のほうには、どうしても、それまでのように自立した立場ではいられないという、なにか複雑な思いが生まれるようです。

我が家でも、介護が始まった当初、義母も義祖母も、「頼りたい」という気持ちと「自分でできるところを示したい」という二つの気持ちが交差しているようでした。

病院へ行くとか、食事の用意をするといったことは、頼りたい。でも、そのほかのことは放っておいてほしい。でも、常に気にしてそばにいてほしい。というふうに、気持ちが不安定でした。

そんな気持ちは、私がほかのことで忙しくしていると、「〇〇してほしい」、「ヘルパーさんに任せるの?」「ほったらかし?」といった言葉となりました。しかし、転びやすい症状があるため、転びそうになったときにすぐサポートできるように義母について歩いていると、「うっとうしい。ほっておいて。」という言葉になりました。

義母にすれば、歩くというあたりまえにできていたことが、いちいち、嫁の助けを得なければできないという事実は、最も受け入れがたいことだったのだと思います。義祖母も、「忙しいだろうからもう帰って」と気遣ってくれたかと思うと、すぐに、「〇〇してほしい」「これどうしよう」などと、何か用事を作って呼び戻すということを繰り返す時期がありました。

 

「なんでそこまでしてくれるの」という言葉に葛藤が表れていた

義母に、いくら「うっとうしい。ほうっておいて。」と言われても、本当に放っておいたら、義母は致命傷となるようなけがを負う可能性が高い病状でした。だから、私は、義母が眠っているとき以外は、ずっと1.5メートルほど離れて、相変わらずついて歩いていました。それでも、お昼寝から目覚めて一人で動き、倒れしまうこともありました。自分では立ち上がれず、助け起こし、ベッドで休んでもらうのですが、ある日、義母が言ったのです。

「なんで、そこまでしてくれるの。」

この言葉に、義母の葛藤のすべてが凝縮されているように感じました。

そして、私は、「今、私の目の前で困っているおかあさんを助けると、私が自分の生き方として決めたからです。」と答えました。それは、義母の後ろをついて歩きながら、たどりついた、私が私自身に出した答えでした。

すると、義母は、一言、「わかったわ。」と答えました。

 

介護者も自分の立ち位置を自問して決める

やはり、毎日、文字どおり、つきっきりの介護が始まったことで、「いつまでこのようなことが続くのか。」「このまま、子育てと両立などできるのか。」「仕事(在宅)をやめるわけにはいかないけれど、量を減らさなければいけないかもしれない。」などなど、日々、先行きについての心配は出てきます。正直なところ、体力的にも楽ではありませんでした。

しかし、「義母のために介護をしよう。」と考えると、介護が重くなるにつれて、そこには、「犠牲になっている。」という感覚が出てきてしまうような気がしました。どのみち、何らかの形で、介護には関わらなくてはなりません。なんとか、子育てと介護の両方が、互いにプラスになる形を探るためには、「犠牲」という概念は入れたくありませんでした。

そこで、まず、「私はどうしたいのか」と自問してみました。具体的には、「今目の前で困っている義母をできるところまで支えたいのか、無理だと割り切ってしまいたいのか」ということです。毎日、義母から目が離せず、気の抜けない日々は、疲れを伴うものでしたが、何日も考え続けて出てきた答えは、「このまま、義母から離れてしまったら、いけない。義母といっしょに、人間としての何らかの成熟を試みなければいけない。」というものでした。

このような自問自答を経て、義母を支えることを自分の意思として決め、伝えたのです。

長い時間で考えれば、子どものためにもよいと思いました。なぜなら、いずれ、我が子たちにも、老人になる日が来るからです。

 

 

「あなたがいなければ生きていけない」

その後、義母は、人が変わったように必要な助けを受け入れてくれるようになりました。また、私を気遣ってくれるゆとりも持ってくれるようになりました。そして、介護が始まって3ヶ月が過ぎたころ、「ありがとう。私は今、あなたがいなければ生きていけないの。頼むわね。」と言ってくれたのです。義母もまた、葛藤の末に、自分の立ち位置を決めることができたのでした。

この言葉が、義母と私との二人三脚の始まりとなりました。姑と嫁、要介護者と介護者という関係に、いっしょに生きていく同志のような関係が加わったようでした。

義祖母のときは、また違うアプローチが必要でした。

よく、小さい子どもが、いたずらをしたり困らせたりして、愛情を確かめるような行動をとることがあります。これと同じようなことが、義祖母の行動には感じられました。義母の時に、すでに、介護をするなら、自分の意思としてしようと決めていましたので、義祖母のときもある時期、徹底的に付き合いました。

最初は、私も、義祖母の意図がわからず、危ないことをしたりすると怒ってしまったりしていました。でも、義祖母の回復によいと思うことを、ひたすらやるうちに、みるみる自分の体調がよくなっていくのを義祖母は実感してくれたようでした。

また、義祖母は、不安になると、お小遣いを渡して気を引こうとするところがありました。しかし、私は、それを決して受け取りませんでした。後に認知症の症状が強くなったときに、トラブルになると思いましたし、お金のために介護をしていると思われるのもいやだったからです。それによって、義祖母は、「お金をあげなくても、私の世話をきちんとしてくれる人だ」と認識してくれたようでした。

そして、ある日、「あなたの言うとおりにしていたら、本当によくなった。私は、あなたさえいたら、お金もなんにもいらない。」と言ってくれました。

その後は、いろいろな症状によるできごとはいろいろありましたが、基本的な人間関係はずっと保つことができました。

 

介護によって人間関係が深まることもある

要介護者も介護者も立ち位置を決めると、お互いの基本的な関係ができます。すると、余分な抵抗や憶測がなくなり、お互いが素直になって日々を過ごすことができてきます。

介護は、やはり、さまざまな手間を要するものです。余分な気を回す必要がないだけでも、ずいぶんと助かります。

あるとき、子どもの心配を私が口にすると、義母が、「上手に育ててる。あの子はだいじょうぶ。」と励ましてくれたことがあります。子どもたちが幼い時は、私の子育てに批判的だった義母が、このように言ってくれたことは、わたしにとって、なによりもうれしいことでした。

介護がなければ、このようなひとときは、ずっとなかったかもしれません。

在宅介護でなくても、主たる介護者の手伝いでも、自分が、どのように要介護者となった人と、新しく関係を作っていくのかという問題に向き合うことは、介護に関わる時間のどこかで必要になると思います。

要介護者も介護者も介護が必要になった当初は、心の落ち着きを失い混乱するのも無理はありません。でも、この葛藤をお互いに乗り越えたら、少し、違う風景と光が見えてくるのだと思います。

 

 

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