ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

ダブルケアのはじまり

 
  
  はじめまして。
 
今日まで、ひた走ってきたダブルケアの日々を少しずつ綴っていきたいと思います。
 
正直に申します。私は、
パソコンの操作やブロガーのみなさんとの交流の方法など、まだ、よく知りません。
いろいろとこれから勉強していきますので、
多々ある至らない点は、ご容赦くださいね。
 
 
さて、
ダブルケアとは、狭義で、介護と育児、子育てが重なること、広義で複数の方を同時にケアする状況を言うこともあります。(Wikipedia参照)ときには、介護をしている方に孫のお世話が重なる場合も含むようです。
 
我が家の場合、
本格的な介護が始まったのは、約8年半前。
子どもたちは、小学低学年と中学生、私は、43歳でした。
義母の入院に始まり、それまでの生活は、子ども中心から義母中心へと、心の準備もないままに大転換したのです。
大人にとっては、ある程度、いつかはといった心構えがあったとしても、子どもたちにとっては、まさに、有無を言わせぬ、突然の生活の大変化でありました。
それ以来、今日まで、環境を受け入れ、よくぞ、それぞれの道を歩き始めるまでになってくれたことと感慨深いものがあります。
 
ダブルケアが始まった当時、5年続いたら、いちばん上の子どもが大学生になる、それ以上続いたら、今後の子育ては、すべて、介護と一緒に進んでいくと思い、少なからず、葛藤を感じました。
しかし、状況は、待ったを許さぬもので、とにかく、右も左も分からない中、手探りでスタートしました。
 
それ以来、我が家のダブルケア歴が始まったわけですが、ダブルケアを通して思うことは、子育てと介護には、共通点がたくさんあるということです。  
介護と子育て、人生の終盤とはじめ、これらは対局のもののような印象を持たれている方もあるかもしれません。
しかし、実際は、できることは自分の力でやってみるほうがいいということ、アイコンタクトやスキンシップが信頼関係を保つのに大切なこと、見守る気持ちが大切なことなど、たくさんの共通点があるのです。
ある意味、我が子たちが成長したのには、私が介護で忙しく、余分なことを言い過ぎなかったことが、功を奏したかもしれません。
  
とはいえ、
やはり、子どもをもつ家庭としては、荷の重さは軽くはありません。それでも、ダブルケアを続ける理由は何でしょうか。
 
いちばんの理由は、人の可能性を感じられることでしょうか。
我が家は、義母が天に召されたあと、義祖母のケアを続けています。
義母とも義祖母とも、はじめから仲良しだったわけではありません。しかし、ケアを続けるうちに、仲がよいとか悪いとかいうことを越えた、しみじみとした信頼関係のようなものができていきました。
また、人間というものは、悲喜こもごものあるがままの存在として受け入れざるを得ないものだということを、感覚的に知ります。
そうなると、できる限りはお付き合いしないと、介護者も、自分を納得させられなくなってくる一面があります。
また、人の身体や精神の力をまざまざと感じて嬉しくなることもあります。
このように過ごすうちに、介護を止めてしまうと、この、濃くて貴重な機会を逃してしまうような気さえしてくるのです。
 
ただし、これは、医療、介護体制などの、さまざまな、介護と子育てを同時に続けていける条件が整ってこそです。
決して、介護者家族が倒れてしまってはいけません。
 
家での介護、
通いの介護、
施設での介護、
いろいろな形があります。
進んで介護に取り組んでいる方、準備のないまま、突然訪れたダブルケアの日々をこなしている方、事情はいろいろでしょう。
 
在宅介護9年目の我が家のあれこれにも、共通すること、共感していただけることがあるかもしれません。
いろいろあったけど、経験してよかったと振り返られるものになるように、今後、幸せな人生を歩む力になっていくように、これからも、考え続けたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
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