前回の子育てで心に留めたこと(その1)と矛盾するようですが、子どもの心に起こっていることに気を配る一方で、介護をしている状況を、子どもがするべきことをしなかったり、なにかから逃げたりすることの言い訳にさせないことにも、気をつけたほうがいいと私は思っています。
できない理由にするのではなく、できる方法を考える
介護があるから、これができない、あれができないという考え方をすることができるだけないようにすることは、介護を終えた後に、より豊かなものを残すために大切だと思います。
ダブルケアの状況では、たしかに、いろいろな制約ができてしまったり、余裕のない生活になったりすることは否めません。
しかし、それを、必要以上にかわいそうな状況だと考えてしまうと、何もかもを介護のせいにしてしまう危険が出てきてしまいます。
たとえば、介護をしていなくても、家業が忙しいお店で、夫婦で店の切り盛りをしていたとしたら、やはり、子どものことにかかりきりというわけにはいきません。
また、父母ともにフルタイム、残業の多い職業なら、家事分担や日ごろのコミュニケーションは、どのようにするのかなと考えてみるのです。
介護があるからできないとばかり考えると、介護が終わったとき、犠牲になってしまったような気持ちが大きくなってしまうかもしれません。
しかし、どうすればできるかと考えるところには、工夫やアイデアが生まれます。すると、日々の気持ちのもちようばかりではなく、介護が終わったときには、「たいへんだったけど皆でやりきった」とか、「たくさんのことが学べて、いい経験になった」と、プラスのものも多く残ると思います。
衣食住に関することは自立しているほうが幸せ
そもそも、衣食住に関係していることは、自立している大人に育つ方が将来幸せになると思っています。食べること、部屋を整えること、衣服の管理ができること、これらが自分でできることは、人生の自由度を高くします。誰かに作ってもらわないと食事ができなくて、タイムリーに食事ができないことにイライラする人生より、自分で食べたいものの味を、工夫して作る楽しみを知っている人生のほうがきっと楽しいはずです。
かつては、「男子厨房に入らせず」などというフレーズがありましたが、今は違います。私自身は、ほぼ、今で言う、ワンオペレーション育児、介護、家事でした。介護が始まってから、夫が単身赴任している時期もありました。
私のやり方に夫が文句を言わず、認めてくれていることは、とてもありがたいですが、やはり、家事や子育てのことをもっとしてほしいと思ったことは数知れずあります。
そんなわけで、子どもには、家事や子育てのことを主体的に考える人になってほしくて、
「これからは、家事くらいできないとお嫁さん来てくれないよお」
と、息子たちには言います。
そして、娘には、料理のできる人と結婚してほしいなあなどと思うのです。娘も料理をはじめ、家事はしますが、家族で一緒に料理を作るのはとても楽しいことであり、逆境のときも家族で乗り切る力になるような気がするのです。
だから、介護によって、子どもたちが担う家事が増えたとしても、それは、かわいそうなことだとは一概に言えないと考えています。むしろ、自分でできるようになるいいチャンスとしてとらえてきました。
たとえば、食事の時間になったら、皆のお箸を並べたり、ご飯をよそって並べたりしてくれるだけでも、助かります。そういうことが、自然にできる人に育ってほしいのです。
そのふるまいは、子ども自身が家庭をもったとき、必ず役に立つはずです。そして、お父さんが積極的に家事に参加する家庭では、子どもも、家事は家族皆でするものと認識するでしょう。また、親が家事のいろいろを教え、それができるようになっていくことは、子どもにとっては、自分に自信をつけていく過程にもなるはずです。
「助かるわー、ありがとう」と声をかけられることの多い子どもの心には、自分が行動して人の役に立つ喜びと、自分を認めてもらったという喜びが広がると思います。それは、まぎれもなく自分を信じる力へとつながっていると思っています。
そして、子どもの知力もまた、生活の工夫の中で多くがついてくると思います。
介護があるから勉強ができないとは言わせない
勉強にもいろいろありますが、学校の勉強は、子どもが、つい、そのたいへんさから逃げたくなりがちなものの一つかと思います。本当に、放っておいてもコツコツと取り組む子もいるようですが。
ダブルケアの場合、介護をしている期間が、受験と重なることは多いでしょう。我が家でも、8年半のあいだに、高校受験が2回、大学受験が2回ありました。たまたま、一人は、中高一貫校だったので、高校受験が1回少なく済みましたが、本来なら、高校受験が3回あるタイミングでした。
高校受験は、浪人するわけにもいかず、受験できる学校も、多くても2、3校に限られるため、いちばん気を遣います。本人の希望と学校の先生のお考えが違う場合は、学校の最終選択について、葛藤も乗り越えなくてはなりません。成績が十分ならよいのですが、そうもいかないときもあります。
子どもたちが中学3年生になったとき、これからかかる受験のプレッシャーに備えて、担任の先生に、介護をしているという状況を伝えました。そして、なにか気になることがあれば教えていただけるようにお願いをしました。
先生が、介護のたいへんさを理解しておられるかどうかはわかりませんでした。先生とて、経験がなければ実感は難しいのは当然です。
そのうえで、子どもたちには、自分の行きたい学校に行くためには、先生に「よし!」と言ってもらえるように 成績をとることが先決だと話しました。それが、どれくらいなのか、テストの点数と通知簿の数字で示し、その数字をどの時点で持っておかなくてはならないのかを説明しました。
また、なにがあっても勉強が続けられるように、奨学金がもらえる程度の成績はとっておくように話しました。
そして、「うちは介護をしているけれど、それは、勉強をしないとか、できないということとは一切関係ない。戦争中でも勉強を続けている人はいるし、電車の中でも歩いていても、やろうと思えばどこでも勉強はできる。 それに、介護をしているのは主に親であって、あなたにさせているわけではない。行きたい学校に行けるように考えて行動しなさい。」とはっきり言いました。
そして、それ以降、私がかける言葉を、前向きなものにすることを心がけました。介護のための時間が必要で、マイナスのことを言ったあと、フォローする時間が取れないからです。
そうは言っても、いろいろあります。大げさに言えば、本2、3冊分になりそうなくらい本当にいろいろ。
でも、結局は、3人とも、行きたい学校に行けました。そして、介護があったことで、子どもたちのやり切る精神力は強くなったように思えます。自分の人生には自分で責任を持つことをいつしか理解するようになっていました。
介護を逃げ場にしないことは、ダブルケアにおいて大事なことだと思う所以です。