前回の続きです。
とはいえ、早、4月。
更新するのがずいぶん遅くなりました。
桜が満開です。 開花が早いところでは、もう花吹雪のころでしょうか。
さて、
ダブルケアの最中、介護、子育て、仕事、家事とこなさなければならないことは盛りだくさんのてんてこまいです。
そして、子育てと介護、仕事のバランスをどう取るのかということが、いつも心にくすぶります。
ダブルケアを乗り切るために子どもとの関係をどう保つのかを考えるとき、やはり、短くても、一対一の時間を作ることだと思います。
私の8年半のダブルケア生活で、やってみてよかったと思うことを書きます。
いつも全部のことができなくても、意識しておくだけで、ずいぶん違ったように思います。
子どもを名前で呼ぶ
子どもをついつい、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ぶことがありますが、名前で呼びましょう。
たとえば、「おはよう。太郎」「これ、花子がやってくれたから助かったわ」というふうに、叱るときや、用事を頼むとき以外の何気ない会話の中でも、名前を使うといいと思います。
どの名前がよいかと、親も一生懸命に考えつけた名前です。「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と立場や役割で呼ぶのではなく、その子自身の名前で呼ぶことを繰り返すことで、子どもは、親との関係の中で、自分自身の存在を確認しながら育っていくのではないかと思います。
子どもが自分をしっかりもってくれると、成長するにしたがって、子育ては楽になっていきます。ダブルケアという事態を乗りきる力もある程度蓄えられます。
くわしくはこちらにも書いています。
いいところに目を向けて伝える
基本的に忙しいし、介護に関することの一つ一つは未知のことが多く、特に介護が始まったころは頭を抱えたくなるような気持ちになることも、多いと思います。
大人といえども泣きたくなるような気持ちになる中で、子どもの不機嫌やいたずら、保育園や学校の用意、トラブルや反抗などは子どもの成長過程で当然起こってくることで、日常茶飯事です。
こんなときは、誰しも、なにかと、腹の立つことや欠点、不足の部分に目がいきがちです。腹立ちまぎれに、きつい言葉で必要以上に子どもに怒ってしまうこともあるかもしれません。
でも、いつもなら、言い過ぎたと思って後でフォローすることができても、ダブルケアの忙しさの中では、要介護者のケアに時間がかかり、フォローのタイミングを逃しがちになります。
こんなことが積もり積もって、子どものストレスが大きくなりすぎると、さらなる問題勃発の要素になってしまうかもしれません。
しかし、批判されるよりも、ほめられたり認められたりしたほうが、やる気になったり、ほめられた方向に伸びようとしたりするのは、大人も子どもも同じだと思います。
私も経験がありますが、やはり、仕事内容を認められると、仕事へのやる気が違ってきます。たとえ、ミスをして落ち込んでも、自分を認めてくれる上司の言葉に励まされ、またより良い結果を目指そうという気力がわいてきます。このような心の動きは、子どもも同じだと思うのです。だから、不足に感じるところには片方の目をつぶり、いいところをしっかり開いた両目で見つけ、子どもに伝えましょう。自分を認められた経験を多く持つ子どもは、きっと、自分でよい選択をしていく力を身に着けることでしょう。
「がんばったね」とほめる
ちなみに、我が家の子どもたちにきいたところ、なにか、自分のしたことに親が気づいてくれて、「がんばったね」と言ってもらうとうれしいそうです。(「がんばれ」ではなく、あとからの「がんばったね」です。)
ダブルケアの日々では、子どもたちもなにかと心が揺れ動いたり、不安になったりすることも多いと思います。だから、小さなことでも「がんばってたね」「よかったね」「ありがとう。」「うれしかったよ。」「助かったわ」と声をかけることで、子どもは、自分の存在を親がしっかり見守り、認めていることを感じ、安心して育つことができるのではないでしょうか。そして、結局は、余分なトラブルも減らすことができ、ダブルケアの経験を、成長の機会にすることができるのではないかと思っています。
怒って、フォローできず、もやもやするより、ストレスは格段に減ります。
それに、期待以上の子どもの成長を感じられるできごとが起こるという、なによりのご褒美がくることもありました。こんなときは、本当にうれしいものです。
プラスの言葉をかける
小学生の高学年ともなれば、自分探しが始まります。誰かモデルになる人を見つけて、こうありたいという憧れを持つ一方で、人と自分を比べて、必要以上に自分を卑下してしまうこともあるかもしれません。
ありのままの自分と向き合うことができないまま、自分という人間を持て余してしまうこともあるかもしれません。
親子の関係も、個と個のぶつかり合いのようになって、幼いころのように、親が叱って子どもが従うといった単純なものでもなくなってきます。ときには、真っ向勝負のようになることもあるかもしれません。
ただ、一つ言えることは、どんなに自信たっぷりに見えても、子どもは、実は、迷ったり強烈な劣等感を抱いていたりすることがあるということです。
大人になっても、ありのままの自分を認められないままの人はたくさんいます。迷いながら、自己の形成途中にある子どもならなおさらです。だから、私は、自分が中高生のころにかけてほしかった言葉や、表現を使うようにこころがけました。それが、子どもたちにどれくらい響いたのかはわかりません。ただ、少なくとも、日常の会話が途切れず、大事は場面で話ができる関係を保つことはできたと思います。
そんなの当たり前のことだと思われる方も多いかもしれません。しかし、この日常の会話を保つことは、ダブルケアの忙しさのなかでは、やはり、ちょっとした気持ちの工夫がいることだと思います。
子どもが出かけるとき、玄関で見送る
以前に「だけの時間」というこちらの記事でも書いたのですが、
子どものほうが、 家を出るのが早いときには、家事や介護の手を止めて、玄関まで出て行って見送るとよいですよ。靴を履いて玄関を出るまでのほんの短い時間は、それぞれの子どものための時間です。
ときには、心配ごとがあったり、学校に行きたくない気分だったりする日もあるかもしれません。そんな気持ちを、ちょっとしたしぐさで感じることもできますし、忘れ物に気づくこともあります。「親は、今日があなたにとって良い日で、無事に家に帰ってくることを祈っている。」ということを、無言のうちに伝えるのに、最も適した時間だと思います。
ついつい、忙しいと、奥からいってらっしゃいと声をかけるだけになりがちです。でも、この時間は、私にとって、今も大事にしたいひとときです。
外食をする
介護が休める日で、皆の予定が合えば、我が家では、ときどき外食をしました。これには、介護も家事もちょっと休むというメリットがあるのですが、もう一ついいことがあります。それは、外食だと、食事の始まりから終わりまで、皆がお店の一つの席についているので、話す時間ができるのです。
子どもたちも大きくなってくると、だんだん、部活や習い事、塾、アルバイトなどの時間がまちまちになって、食事の時間がばらばらになりがちです。だから、このような機会があると家族でいろいろな話ができるのです。普段思っていても、なかなか話す時間がないままになっていることを、話せたりします。
8年半のダブルケア生活のあいだには、話題も、だんだん変わってきました。人生観のようなものも話題になるようになってきて、親も子もいくばくか成長したと感じます。
すべてを、いつもできるわけではなくても、ちょっとした、気持ちの向きで、毎日は違ったと思います。ご家庭に合った、子ども一人一人との一対一の時間を工夫することで、ダブルケアの日々から得るものを増やすことができるのではないかと思います。