ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

ダブルケア 子育て、介護、仕事が重なったときの子どもへの対応はどうするのか(小学生以降編1)

小学生になると、ついて歩くような育児から、親の基本の立ち位置が、見守るほうに移動します。そして、話をしたり、一緒に考えたりするという関係になっていきます。

日常生活においては、行動や気持ちが見えにくい時間が増えていくころでもあります。

あるとき、買い物に入ったお豆屋さんの店主は、1歳の赤ん坊を抱いている私に、

「子育てはね、奥さん、乳児期は肌を離すな、幼児期は手を離すな、小学生は目を離すな、中学生以上は心を離すなと言うんだよ。」

と、子育ての極意を教えてくれました。子どもと親との適切な距離感を表した、とても的を射た表現で、それ以来ずっと私の心の中にある言葉です。

ダブルケアと仕事の忙しさの中で、どんなふうに目や心をかけて、いい距離とつながりを保っていくのか、経験から考えてみます。まずは、やはり、乳幼児期と同じように、ほんの短い時間でも(むしろこの時期は短いのほうがいいのかもしれませんが)一対一の時間を作ることが大事だと思います。

 

 

小学生以降の子ども

 小学生時代は6年間あり、心も身体も本当に大きく変化します。多くの子どもは、学校という幼児時代よりも大きな社会の中で、本当にさまざまな感情を味わっていることと思います。

小学1年生は、親と保育園や幼稚園に行っていた日常から、友達や上級生と学校に行くという日常に変わることだけでも、気持ちは、ずいぶんと違うでしょう。

この時期は、自己中心的な幼児期を脱して、他己の存在を意識し、自己と他己との折り合いをつけたり、一緒になにかをすることの楽しさを知ったりしていくころです。一方で、仲よくなったかと思えば、けんかをしてくるなど、人間関係も目まぐるしいものがあります。

両親が仕事をしている場合は、学童保育を利用することが多いと思います。夕方5時すぎに学童保育から家に向かう子どもたちを見かけますが、帰宅後は、親子とも、明日の準備をするだけで、いっぱいいっぱいかもしれません。

連絡帳の確認、学校からの連絡のプリント、学級通信、給食の用意、宿題、翌日の持ち物など、いろいろな確認や整理、準備がいります。

また、友達とけんかをしたり、先生に叱られたりして、様子がいつもと違う、気持ちが落ち着かないという日もあるでしょう。

小学生もなかなか大変で、がんばっています。

また、中高生は、言わずと知れた思春期で、自分探し、自己形成に伴う第二反抗期です。ときには、親子の真っ向勝負の様相になることもあります。

親は親で、在宅介護ならケアがあり、入院や施設介護なら訪問をする日があり、子どものことも気になり、自分の仕事の段取りもありと、フル回転です。

親も子も、感情の起伏も激しくなりがちで、気持ちもいっぱいいっぱいの中、何をどうすればいいのでしょう。

8年半のダブルケア生活を振り返って、ささやかな経験の中から、これはよかったと思えることをお伝えします。

 

子どもを名前で呼ぶ

子どもを呼ぶとき、特に、上の子のことを、「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んでいないでしょうか。また、「お兄ちゃんなんだから」「お姉ちゃんなんだから」と言っていませんか。

これは、子どもを、役割で呼んでいることになるのではないかと思うのです。

私自身、子どものころ、「お姉ちゃん」と親から呼ばれていました。40年前なら、どこの家庭でもあったことです。でも、たまに、親戚が来て、名前に「ちゃん」をつけて呼んでもらうと、本当に、私自身を呼んでもらった気がして、心がうきうきしたものです。

親が懸命に考え、願いをこめてつけた名前です。子どもを名前で呼ぶと、その子は呼ばれるたびに、親との一対一の関係の中で自分の存在を確認することができるのではないかと思います。そして、成長とともに、名前の違う自分以外の人を大切にする気持ちにつながるのではないかと思います。

 名前で呼ぶということは、子どもにとっては、うれしいことであり、自分自身は何者でどう生きるのかというアイデンティティの確立にとって大切なことだと思います。

このような考えがあって、我が家では、兄弟間でも、お兄ちゃんお姉ちゃんではなく、名前で呼ぶ習慣にしてきました。これには、賛否両論あると思いますが、私は、お兄ちゃんとしてしっかり生きることは、一人の人間としてしっかり生きることができればカバーされると考えています。

大人になれば、職業、社会的な立場、家庭事情、健康状態などなど、それぞれの人生において違いが出てきます。兄弟姉妹が困っているときどうするのか、兄弟姉妹の上下や立場ではなく、一人の人間として考えてくれることを、親としては願っています。

今のところ、一人一人が自分の人生に向き合い、自立を目指して生き方を探していますし、私も、兄姉だから、弟妹だからどうこうしなさいという言い方はしません。

ダブルケアと仕事の混沌とした8年半の歳月、子どもたちが自分の立ち位置から大きくぶれることなく、自分の人生に大事だと思うことに取り組んでくれたのには、名前で呼び続けたことが、効いているような気がしてなりません。

 

長くなってしまいました。

続きは次回にします。

読んでいただき、ありがとうございます。

 

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