介護が、ダブルケアの状況で始まるとき、迫ってくるのが、介護を必要としている人を優先すべきだけど、子どもを優先したいという気持ちではないかと思います。
子どももいつか年をとる
この気持ちの中には、
「どちらかを選ばなくては」
といった思いがあります。
しかし、これは、すっぱりと決められるものではありません。
特に、自分の親と子どもならなおさらではないかと思います。
今後を長く生きていくための準備の時期にある子どもと、多くの場合、人生の後半を過ごす要介護者を、残された時間で比べると、子どもに力を注がなくてはならないと、思いがちかもしれません。
私自身、ダブルケアが始まったころ、子どもにしてやりたいけれど、思うようにしてやれないことのあれこれを考えて、つらくなったことが何度もあります。
しかし、
「子どもがいるのに、介護なんてできない」と、つっぱねることができませんでした。なぜなら、子どもも、いつか、年をとるからです。
人生の終盤も大切だと伝える
子どもは、大人が考えているよりも、意外と多くのことを、感じたり、考えていたりします。
その中には、哲学的なことも多く含まれていると思います。それは、幼児でも同じだと思います。
小さな子どもの言葉にはっとすることがあるのは、その心と言葉の中に、優れた哲学や、真実が含まれているからではないでしょうか。
小学生以上となればなおのことです。
思春期には、フラフラしているように見えても、自分自身や人生というものに向き合います。それゆえ、反抗したり、人間関係に悩んだりするのです。
今後の人生を考えている子どもたちに、人生の終盤が、大切にされてしかるべきだということを伝えたいと思いました。
逆から言えば、人生の終盤は、ただ、社会や家族のお荷物になっていくのだなと思ってほしくなかったのです。
子どもを理由に、介護をただただ拒否することは、必ずしも、子どもを大切にすることではないのではないかと思います。
もちろん、できない理由も事情も考慮されるべきで、ましてや、在宅のダブルケアとなると、できない場合のほうが 多いと思います。
しかし、直接介護をしない場合でも、ただ、介護を回避するのではなく、できることは何かということを 探してみることが、ひいては、子どもの人生をも守ることになるのではないかと思えてなりません。
目の前の曽祖父母や祖父母が、大切にされている姿を見ることは、何十年かのちに、老人になっていく子どもにとって、年を重ねるにあたっての安心になるのではないかと思います。
人生を学ぶ機会に恵まれることもある
ありがたいことに、義母も義祖母も、主に介護をする私や、子どもたちに、
「ありがとう」
と、1日に何度も言ってくれました。
義祖母においては認知症が進み、少しずつ言葉が失われていても、
「ありがとう」
と、口を開けば言ってくれます。
こんな年の取り方も、ある意味、すてきだと思いますし、最後の最後まで、「ありがとう」を忘れない義祖母からは、とても大切なことを、子どもたちも教わっていると思います。
たしかに、介護をすることには、手間もかかるし、時間も多く譲らなくてはなりません。
しかし、同時に、人生の深さを子どもたちも学んでいるように思います。
だから、どちらかではなく、
「どちらも」
と考えてみるのも、よいのではないかと思うのです。
💡役に立つかもメモ
久々のお弁当のおかずヒット作
久々のお弁当おかず新メニューをご紹介します
材料
ささみ レモン果汁 塩こしょう
あればハーブソルトなどハーブ系の調味料
米粉
1. ささみを一口大に切り、レモン汁をかける。
2. 1のささみに、塩こしょう、ハーブ系の調味
料をパラパラと適量ふる。
3. 米粉をまぶす。
4. 多めのオリーブオイルで焼くか、
からあげにする。
冷めても美味しかったとのことでした!