ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

ダブルケアをしてよかったと思える今

今日から師走です。

そして、今日から、息子の定期試験が始まりました。準備やいかに。

 

 

ブログを始めたわけ

先月11月に、このブログを投稿しはじめました。それは、義母と義祖母の介護をしているあいだずっと感じていた、「介護の現場で何が起こっているのかがわかる情報が少ない」という状況に、少しずつでも役立てればいいという気持ちからでした。

 

ダブルケアを体験した方の話が私を支えてくれた

ダブルケアとなると、なおさらです。

ダブルケアが始まったころ、かつて同じ経験をした人に一人だけ出会いました。その方は、乳飲み子を抱えてお母様の介護を、幼児を抱えてお父様の介護を在宅でされたそうです。我が家の場合は、本格的な介護のスタート時、いちばん下が小学3年生でしたから、上には上があるものだと、敬服したことを覚えています。

その方としっかり話したのは、2度ほどしかありません。でも、私にとって、その話の内容は、介護というものを理解するための情報にあふれていました。そして、穏やかな風情のその方が、きっぱりと言った言葉が、その後の私を強力に支えました。

「人生、どんなにたいへんなことでも、無駄なことはなんにもないよ。これだけは、はっきり言える。全部のことに意味がある。」

この言葉をもらって以後、このダブルケアが、やってよかったと思えることとして振り返られるできごとにすることが、目標となりました。

介護のたいへんさは、やってみないとわからないとはよく言いますが、たしかに、日々の複雑な出来事や心境を、介護を経験したことのない人が想像することは難しいと思います。

ダブルケアを続けるうちに、子どもも成長し、介護が始まったころのてんやわんやもおさまってきました。ダブルケア生活にも、少しゆとりができてきたので、介護を続けながら、これまでの経験から知ることができたことや、考えたこと、思うことなど伝えてみようと思ったのです。

 

やってよかったと思う

しかし、先日、義祖母が、不意に往ってしまいました。いつもと同じ朝を迎え、ヘルパーさんに身体をきれいに拭いてもらい、車椅子に座って好きなものを一口ゆっくり飲み込みました。そして、ふっと全身の力が抜けました。

昏睡に入ったのかと思いました。でも、違いました。

超高齢と言われる年齢ではありましたから、いつかこのときが来ることはわかっていましたが、とても体調のよい日が続いていたので、まったく予期せぬタイミングでした。

しかし、それは、義祖母の好きなヘルパーさんが来られているときであり、私が一人ではないときであり、義祖母の顔を見て話しかけているときであり、親族の仕事や学校の都合にいちばん影響が少ないときであり、気候もお天気もよいときでありました。

今、この別れ方に、義祖母の思いやりを感じずにはいられません。本当にいろいろなことがありましたが、この介護、やってよかったと、思います。

このように思えるのは、8年半の結果として、義祖母が人生の終わりまで思いやりを示してくれ、家族が皆元気で、子どもも成長して迷いながらも自分の道を見つけることができたからであると思います。

 

お役に立てれば

それぞれの家庭にはそれぞれの事情があり、考え方があります。ダブルケアには、在宅介護であれ施設入居や入院であれ、なにかしらの負荷が介護者家族にかかりますが、どこまでの無理ができるのかという範囲もみな違います。やってよかった介護になるかどうかは、それぞれの家庭によって違って当然です。

ただ、引き受けざるを得ない状況であれ、引き受けると心に決めた状況であれ、やってよかったと思える介護にすることは、介護者の知識や技術、意思によって、ある程度できるのではないかとも思います。介護や子育てについての社会資源のあり方も含め、少子高齢化社会では考えていかなくてはならないことがたくさんあります。

義父が入院した翌年、私が41歳になる年の手帳の表紙裏に、なぜか「介護の10年」としたためています。そのときは、まだ義母も義祖母も介護は必要ありませんでした。しかし、義父を見送った翌年から、本格的なダブルケアは始まります。以来、8年半が経ちました。今のところ私自身の両親は健在ですが、もしかすると、再び介護生活に入るかもしれません。

今、改めて、ダブルケアが始まったころのことからいろいろと思い起こし、ひた走った日々から考えたこと、得たことを書いていこうと思います。

それが、お一人でも、どなたかの役に立てばと願いつつ。

 

 

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