ダブルケアデイズ

子育ての最中に、介護がやってきた!ひた走る日々。

ダブルケアでユマニチュードの考え方を実践してみたら(「見る」編)

 

「ユマニチュード」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。私は、2014年2月5日放送のNHK総合「クローズアップ現代」で、初めてこの言葉に触れました。

主に、認知症の方のケアを行う上での考え方で、最近では、NHKの番組で2017年4月26日にEテレと総合の両方で取り上げられていました。

ユマニチュードを日本に紹介した、内科医の本田美和子氏も両方の番組に出ておられました。テレビ画面でお見受けするだけですが、医療者である前に、人としての心を感じる方だなあという印象をもちました。

ユマニチュードは、フランスでは、すでに40年の歴史のある考え方ですが、日本に紹介されたのは、2011年のことです。日本語では、「人間らしさへの回帰」と訳されています。

「あなたは人間で、そこに存在している。」と伝えるのが、ユマニチュードの哲学です。 

体育教師として研鑽を積んだ、イブ・ジネストさんと、ロゼット・マレスコッティさんが確立した考え方とケアの方法で、現在は、ジネスト・マレスコッティ研究所日本支部があります。

番組では、ジネストさんのみ実際に施設を訪れてケアを実践しておられました。テクニックが必要とはいえ、ジネストさんの人柄に、固く閉ざされていた心がみるみるほぐれていきます。和らいだ表情でケアを受け入れ、心身の状態がみるみる改善されていく様子は、「魔法」とも表現されています。

詳しくはこちらジネスト・マレスコッティ研究所日本支部のホームページもご覧ください。

http://igmi.org>aboutus/

 

認知症の症状は、認知症の方に会ったことがなければわからないことが多いです。私も、約4年前に義祖母にその症状が現れたときは、どのように接すればよいのか非常にとまどいました。

当時はまだ、ユマニチュードのことを知りませんでした。しかし、冒頭に書いたテレビ番組でユマニチュードを知り、この本を買って読みました。

 

ユマニチュード入門

ユマニチュード入門

 

 

講習会などあれば、多少無理をしてでも参加したかったのですが、当時はまだ、専門家向けのものしかなく、私なりに理解と工夫をして実践してみました。

その結果、心がとても楽になりました。

ユマニチュードの、人についての考え方は、要介護者だけでなく、介護者にとっても助けになるばかりでなく、子どもや子育てにとっても、大切なことだと思います。

私たちが忘れがちだけど、忘れてはいけない、人と接するときの基本であるように思います。

ユマニチュードには、「見る」「話す」「触れる」「立つ」を柱として、よい人間関係を築くための150以上のテクニックがありますが、今回は、そのうちの、「見る」を中心に、実践してみたエピソードです。

 

 

要介護者の視界に自分から入る

普通、家族で話すとき、面と向かって話すより、テーブルにいたり、ソファに座ったり、パソコンに向かっていて背中を向けていたりと思い思いの場所と方向を向いて話すことが多いのではないでしょうか。

介護者の側からすると、この感覚のまま要介護者にも接してしまいがちです。時間も有効に使いたいので、話しかけながら作業をしてしまいます。

義祖母の場合、認知症の初期は、話が通じることも多かったのですが、話しかけても、返事もリアクションもなく、聞こえているのかどうかさえわからないようなこともありました。

気まぐれで、気に入ったことしか返事もしないのかなと思ったこともしばしば……。そうすると、こちらの心も波立ちます。

しかし、高齢者、特に認知症の方は、視界が非常に狭く、正面の人や物しか認識できないことが多いというのです。

そこで、ユマニチュードでは、要介護者の顔の正面から近づき、目を見て、話しかけるという方法をとるとよいと教えてくれます。

また、部屋に入るときも、いきなり入らず、ノックをして返事を待ってから入ります。そして、要介護者の正面から近づき、穏やかに話しかけると、ケアも安心して受け入れられるのです。

NHKの映像では、ケアに対する抵抗が強い方が、ジネストさんやトレーニングを受けた看護師さんの声かけに、たちまち表情が穏やかになり、積極的にケアを受けるようになる様子が映し出されています。

 

業務ではなくコミュニケーションを優先することが大切な理由

本田医師曰く、業務を遂行しなければという気持ちよりも、人間としてのコミュニケーションを優先するとことが大切とのこと。私は、医療や介護に従事しているのではなく、在宅介護を経験した家族の一人でしかありませんが、この、「業務になってしまう」という気持ちはとてもよくわかりました。

食事、投薬、着替え、排泄ケア、口腔ケア、運動、どれをとっても、これをしなければ、義祖母の健康を損ねるかもしれないと思うと、何もかもを、「きちんとしなければ」という気持ちにかられるのです。

さらに、これらのケアは、休むことなく一日に何度も行う必要があるので、この、「きちんとしなければ」という自分の気持ちに、身体の疲れとともに追い詰められてくるのです。

そうなると、とにかくやらなければという気持ちが先行してしまい、ゆったりと顔を見て話すという余裕は失われがちになります。

 

生きてることを喜べるとケアも快く受け入れられる

義祖母の場合、ある程度、私のケアに対して信頼感をもってくれていたので、抵抗はありませんでした。

しかし、ダブルケアの毎日で、子どもたちのための時間も、仕事の時間もやりくりせねばならず、話しかけることも忘れて、ケアをしてしまうことが続いたとき、ふと義祖母が、「なされるがままだね」といった意味のことを言ったことがあります。

これはよくないと思いました。義祖母の心が荒んでしまい、生きているということを、自嘲気味にとらえて暮らすようになってしまう危険を感じました。

生きていることを自嘲してしまえば、その人にとって、生きるためのケアは、うれしいことではなくなります。

しかし、「まだ生きていたい」と言うこともあり、それが本音だということは、いろいろな行動から察することができました。

ケアに対して「いやだー!」といった強い抵抗をする一方で、厳しい要求をする方の心には、もしかすると、そんな葛藤が込められているのかもしれないと思い当たりました。

もし、このようなコミュニケーション不足を一因として、抵抗が強く出てくれば、我が家のケアは、もっとお互いにとって辛いものとなっていたでしょう。

とはいうものの、ダブルケアでは、ケア、子育て、仕事、家事と、とにかく時間に追われます。

どうしたものかと思いましたが、とにかく、ベットサイドに行ったら、「おばあちゃん、おはようございます」「おばあちゃん、調子はいかがですか」というふうに、話しかけ、目が合って、義祖母からひと言返ってきてからケアを始めることにしました。

これが、後に、ユマニチュードの考え方とケアの方法に近いということがわかり、それ以降は、意識して目を合わせる時間を取るようにしました。

ジネストさんのように、ずっと視線を捉えるということは、できていなかったと思いますが、それでも、義祖母の自嘲的な言葉は減り、「元気よー」といった前向きな言葉が増えました。

そして、「私、もうちょっと生きとくわ」という、本当に前向きな言葉に変わっていきました。

こうなると、元気で生きるためには、これをしよう、あれをしようと、ケアの内容は濃いものになります。

また、要介護者の元気でいようという気持ちと介護者がやりたいことの歯車がかっちり合うようになります。

すると、短い時間でできることが増え、効果もめざましく、介護者の心も満たされるケアになっていきます。

ユマニチュードの「見る」ということを意識するだけでも、ケアに向かう気持ちは本当に楽になりました。

 

目を合わせることは、存在を認めること

考えてみれば、目を合わせるということが、人間関係の構築に大きな役目を果たしているということは、私たちが普段の人間関係で感じることです。

目が合うと、距離が離れていても、自分の存在を認めてもらったという実感が湧きます。しかし、向き合って話していても、目が合わないと、自分を認識してもらっていないように感じます。

逆も然り。苦手な人とは、目を合わせたくなかったりします。

人と心を通わせたいなら、まずは、「目を見る」ということが良好な人間関係を育むときの第一歩だと、私たちは知っています。

それなのに、介護となると、忙しさや、毎日の同じようなケアの繰り返しの中で、この基本を忘れがちになってしまいます。

ユマニチュードの、「人間らしさへの回帰」という表現が心にしみます。

これは、同時に、子育てにおいても、とても大切なことです。目を見て「おはよう」を言う、本当に伝えたいこと、わかってほしいことはもちろん、普段から目を見て話すということを心がけなければと思います。

そして、こういう親の接し方が、子どもが人間関係を作っていくときに、また生きてくれたらと思います。

ユマニチュードは、要介護者、子ども、そして、介護者であり親である人に、希望をもたらす知恵にあふれた考えであり、方法であると思います。

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