新しい年を迎えてはや10日。
関東地方では、すでに松の内もすぎましたね。
コンビニへ行けば、すでに、節分の巻き寿司の予約の広告が出ていて、すっかりお正月気分も押し流されてしまいました。
今年もどうぞよろしくお願いします。
新年にあたって言葉を一つ
今回は、今年初めての記事なので、私が育児、子育ての中で、大切にしてきた言葉をご紹介しようと思います。
この言葉は、ダブルケアをしてきた8年半の年月も私の心にずっと生きていて、ずいぶんと助けられました。
3番目の子が、まだ、8ヶ月くらいのころに入った、あるお豆屋さんの店主が教えてくれたことです。
乳飲み子を抱いてお店に入り、買い物を済ませると、店主が、
「奥さん、そうやって赤ちゃんをよく抱っこしてあげたらいいよ!
乳児は、肌を離すな。
幼児は、手を離すな。
児童は、目を離すな。
中学生以上は、心を離すな。
って言うんだよ。今は、抱っこがいいよ。」
と言うのです。
この言葉をきいて、なんと簡潔に、子どもとのちょうどいい距離を表した言葉だろうと、思いました。育児、子育ての極意を教えていただいたような心持ちになり、思わず、「いいこと聞いた!」と店主に返事をしました。
また、店主は、こうも言いました。
「子どもはねえ、奥さん、子どもの持って生まれたものがちゃんとあってね、勝手に育っていくもんだ。だから、親が手をかけすぎちゃだめなんだ。だけどね、見ておいてやることは大事だよ。」
私は、数あるお豆屋さんの中からこの店を選んで入ったことに、なにやら、恵みのようなものさえ感じて、店を後にしました。
抱っこは、自立を促す
抱っこが自立を促すなんて、「なぜ?反対じゃないの?」と思う方もあるかもしれません。抱っこをすれば自立するということとは、少し、ニュアンスが違います。
ただ、 抱っこばかりすると抱き癖がつくから、抱っこをしないほうが早く自立するとか、早く歩かせるほうが自立も早いとかいうのは、やはり、違うのではないかと思います。事実、我が家の場合も、いちばんたっぷり、ゆっくり抱っこをした3番目がいちばん自立心の芽生えは早かったように思います。
母乳も、ある日を境にきっぱりと飲まなくなりましたし、3歳半のころには、自転車で隣の公園に一人で行くと、決然として言い張り、出かけて行きました。私は心配で、後ろからついて行きましたが。
もちろん、いろいろと子どもなりにいろいろなことを思うのでしょうが、今日まで、基本的に自分で考えて落ち着いて行動するスタイルは変わりません。
なぜかと考えるに、やはり、一対一の、乳児期の抱っこが足りているからだと思うのです。3番目で、上二人の都合で、ずいぶんとあちこちに連れていきました。でも、上二人が、幼稚園行っているあいだはゆっくり抱っこをする時間がありました。
また、幼稚園に連れていったときなど、私が上の子に手をとられていると、ほかのママの誰かが、話しかけながら抱っこをしてくれていました。上の二人は、歳が近く、なかなか、私も落ち着いて抱っこをしてあげられる余裕がありませんでした。その分、末っ子より長く、抱っこをしにきたり、ひざに座りに来たりしていました。
抱っこをしてほしいときは、子どもにもきっと理由があるのです。何か心配だったり、もっと根本的に、成長するのに必要なこととして、自分の存在を確認していたりするのだと思います。子どもにとって、「抱っこ」は、いちばん大好きな親との関係の中で、自分の存在を確認し、生きる土台を作っている時間なのではないかと思います。
だから、それがしっかりできると、自信をもって自立をすることができていくのではないかと思います。
親も忙しいときもあり、疲れているときもありますが、求めても、抱っこを拒否されてばかりだと、子どもは、自己の存在を確認することが難しくなるのではないかと思うのです。
成長する中での危機を乗り越えるために
困難にあったとき、自分を信じられるということは、人生を歩んでいく中で、とても大切で、大きな力になります。
ダブルケアの状況においても、子どもに負担がかかることが、やはり、少なからずあります。しかし、子どもの中に、しっかり自分というものを認め、信じる気持ちが育っていれば、生活の変化や、状況に対応することもできます。また、より深く、豊かな人格が育まれることも期待できます。
そのために、たとえば、ダブルケアの状況になって、もう小学生や中学生になった子が抱っこをしてほしがったら、短い時間であっても、してあげたらいいと思います。状況は違いますが、震災で被害の大きかった地域では、高校生であっても抱っこをしてほしがるといった赤ちゃん返りが見られたという報告を、当時、確か、新聞でだったと思いますが、読みました。
その歳になって、抱っこをしてほしがるということは、きっと、その子にとって、それだけ大変なことが、心の中に起こっているということなのです。そのとき、抱きしめてあげることは、お皿を洗うことより大切です。
我が家のダブルケアが始まったとき、うちの子たちは、それぞれ、お豆屋さんの店主が教えてくれた、「目を離すな」と「心を離すな」の時期でした。べったりと何もかも世話を焼くことはできないし、子どもが自分でしなければいけないことも年齢に応じて増えてきます。でも、子どもの心に何が起きているかということを、見守り、言葉をかけたり、抱きしめたりすることで、危機を乗り越えてきました。
小学生高学年や中学生になった男の子は、なかなか、抱っこしてとも言ってこないでしょうが、親が「心を離さない」ことが、心を包む適切な言葉や、ちょっとした思いやりを伝えることにつながるのではないかと思います。
ダブルケアをしていると、忙しくて、なかなか、ゆっくり話すことさえ難しいときもあります。しかし、その分、かける言葉を選べば、返って余分なことは言わずにすみます。子どもがどのようにとらえていたのかは、聞いてみないとわかりませんが、私としては、できるだけ、肯定的で前向きな言葉、子どものいいところを見つけ、認める言葉を選んだつもりです。もちろん、いわゆるガチンコ対決になったこともありますが。
8年半のダブルケアの年月の中では、我が家の子たちも、三人三様、歳に応じて、いろいろな危機がありました。しかし、なんとか乗り越え、今のところ、自分の望む道を歩くことができているのは、お豆屋さんのいうところの、持って生まれたものがちゃんとあり、それを自分で確認しながら育ってきたからではないかと思います。
親は、子どもが自分で自分をよく見つめ、確認して歩く手助けをすればいいのだと思います。先回りするより、少し後ろから見守る位置で。
ギャングエイジ、中2病、セブンティーンクライシスと、大きな成長の危機を迎える時期が表されますが、「肌を離すな」から「心を離すな」まで、意識して子どもに接すれば、きっと、そのときに応じて、適切な距離をもって、親子共々に育っていけると思います。